うつくしい生活

生活のことを書いていく。

震災系の話題

今までそんなに長い人生を生きていないので、自分が生きている(記憶している)中で、東京の人間の価値観を一番変えた出来事は東日本大震災だと思う。東京以外では生きたことがないので、そういう言い方をしているけど、多分東日本では全体的にそうなんだろう。

節電の意識とか、消費についての価値観とか、死生観とか色々。

当時のこと

当時私は就活生で、就職説明会を受けに近所の会社に行っていた。結構堅牢な建物だったようで、地震があった時もそこまで揺れなかった。

そこで、机の下に潜りながら、隣にいた女の子に話しかけていた。そのくらい余裕だった。その子はたまたま説明会で隣り合っただけの、全く知らない子だったのだが。その子に言った言葉がとても不謹慎で、今でも結構後悔している。このブログでも書けない。でも後悔している。

それから地震が収まって、とりあえず建物の外に出された。そこで、東北の方で大きい地震があったらしいと会社の人に言われた。この中で仙台出身の人はいますか?って呼びかけられていて。誰か手を挙げたかは覚えていない。

とにかくそんな事態なので、説明会は中止で、解散となった。建物から出てる時に、中学の友人とたまたま会った。本当に地元の企業なので、中学時代の知り合いがいてもおかしくない。わー久しぶり!!とか言ってはしゃいでいた。

家には徒歩15分くらいで帰れるので、楽だった。家から遠い会社の説明会だったらさぞ大変だっただろう。

家につくと、自転車が倒れていた。でも、そこまですごい地震だと思っていなかったので、今日は風がすごくて倒れてしまったんだな、と思った。

家には祖母がいて、落ちたものとかを片付けていた。壁に掛けた額縁とかが落ちて、ガラスが割れていた。置物みたいなのも落ちていた。 これは大変だと思いつつ、部屋に行くと、本棚からごっそり本が落ちていた。他の本棚からも本がごっそり落ちていた。 泥棒に入られたあとみたいな感じだった。

そこでようやく、凄まじい地震だったことを理解し初めてテレビを見た。

家族は祖母以外は家にいなくて、夜まで帰ってこなかった。 母は3時間くらいかけて職場から歩いて帰ってきた。 父はどうせ電車は動いていないとたかをくくって、飲み屋で飲んで、動き始めた電車で普通に帰ってきた。 姉は近場に避難していて、そこで泊まるつもりだったが、電車が動き始めたので帰ってきた。

私は翌日も就活の試験だったはずなのだが、当然のようにリスケになった。

結構覚えている

7年前のとある日の出来事を仔細に覚えていることってそんなに無い。(やたら印象に強い日とかはあるけど)

だからやっぱりあの日は本当に印象的な日だったんだな、という実感。

震災とはあまり関係のなかったような、それでも考え方などが変わった東京者の些細な記録。